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2006年2月16日
京都大原

14日夜、大阪で用事があった。レセプションでは鶴橋で仕入れたキムチサンドが振る舞われた。不味くはない。
 
翌日京都大原へ向かった。京都駅からバスで1時間。大原に着く。三千院へ行くが、途中の道は呂川にそって土産物屋が並んでいた。柿染めや和紙の店もあったが、その多くが柴漬けの店であった。「ここは大原で一番と言われている店です。私どもが言っているのではありません」などという呼び込みを聴きながら山を登る。
 
三千院ではまず本堂に参拝。2月15日が釈迦の命日と言うことで、5色のマメをもらう。苔の庭を楽しみ、阿弥陀仏を拝む。脇侍は「大和座り」の最古のものというが、ようするに正座しているのだ。一瞬異様な感じがする。
 
三千院をでて、さらに裏山へ登る。音無の滝と書いてあったからだ。右手を流れていた呂川が離れていき、左から律川が近づく(あとで、誰かが「津川」だといって、間違いに気付いて恥ずかしがっていた)。川沿いに登っていくと、鉄道のレールを利用した橋を渡るようになる。そこに「音無の滝」の表示が…。矢印の向きは川の方向を指していて、そこにあるのは砂防ダムの「滝」なのである。みていた写真とあまりにも違う。そんなはずはないと気を取り直して、もう少し登っていったら、ありました、ありました。細い流れだが、途中で別れたり一緒になったりした立派な滝が。でも、きっと勘違いしていく人もいるのだろうな…。
 
滝から降りて三千院の裏の来迎院へ。寺は質素な作りで、本堂の中の薬師、阿弥陀、釈迦如来がすばらしい。庭には雪が残っている。そのなか、寺の裏手に回った。融通念仏宗をおこした良忍の寺で供養塔があるということだったからだ。融通念仏宗の供養塔を長野県小谷で見たことがある。ハングルが刻まれている。よくいわれる神代文字ではなくハングルであるが、読み解くと日本語をわざわざハングルで刻んだ物で、しかもハングルではありえない濁点までついている。
 
それを思い出しながら進んでいくと、石塔があらわれた。地震の多い日本では、奈良時代以来地震に倒れにくい塔が作られているが、ここの物はそれより前の形式である。鎌倉時代作となっているが、そうだとすればかなり珍しい。むしろ韓国で多く見られる形式である。
 
山を下りながら、三千院裏の勝手神社を参拝し、「大原問答」の行われた勝林院を見る。仏像の顔は柔らかい表情をしている。次に行ったところは宝泉院。伏見場から供養のために持ってきた血染めの天井などがあるが、それよりも本堂から見る庭がすばらしかった。格子窓から見る鶴亀の庭、本堂の縁側の柱を額縁に見立てて作られた庭もよい。入場料を払うともらえる抹茶券でお茶を点ててもらい、しばらく一服する。大きな五葉の松も立派だ。トイレでは真言を唱えてから使うようにと指示が貼ってあった。
 
土産物屋で柴漬けと、アイスダイコンを買う。ダイコン漬けに棒がさしてあって、アイスキャンデー風になっているものだ。囓りながら降りた(他の店からの勧誘の声がかからないというメリットも)。その後寂光院まで行こうと思ったが、雨が激しくなったことと、寂光院の本堂が焼けてしまい、最近復興したと言うことで次期をずらすこととした。
 
バスで八瀬まで行く。そこで叡山電鉄に乗り換えた。高校の時に乗って以来で、久しぶりだ。そのとくはグループ行動で貴船神社、鞍馬寺へいったのだ。車両は新しくなったが、スピードは出ない。出町柳駅についた。バスから見たときは新しい駅舎になったものだと思っていたが、外観が変わっただけで中は昔のままだった。
 
駅前の下賀茂神社へ行く。高校の修学旅行のとき参拝したつもりであったが、それは徒然草の石清水と同じだったことに気がついた。鴨長明ゆかりの河合神社などを見たのち、出町市場をぬけ、京都御所と同志社の脇を市営地下鉄今で川駅まで歩いていった。かなり距離がある。修学旅行の時、今出川から出町柳まで列車に間に合わせるために走り抜けたが、記憶ではもっと短い距離になっていたのだ。記憶の検証も必要だと思いながら、帰京した。
 
 

Posted by hajimet at 20:43 | Comments (0)

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