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2006年1月7日
関西・信州

1月4日、1月5日、大阪東京鈍行の旅を行った。
3日の夜に大阪で、4日の夜に名古屋で用事があったのだが、昼間特に予定がなかったので、ゆっくり移動しようと思ったこともある。
 
4日、大阪天満駅から大阪環状線に乗る。その前に交通新聞社の携帯全国時刻表を買った。関西圏の時刻表のため、新幹線の次に出ているのは東海道線(東京発)ではなく琵琶湖線であるし、私鉄なども西日本中心に書かれている。
 
さて、大阪で20分ほど待って、大阪10時4分発の大和路快速に乗り込む。途中生駒山地を越えるが、それまでの平野が突然高くなり、山間に入ったようにいくつかトンネルや橋梁を渡ると、もう奈良盆地だ。奈良を通過すると10分ほどで加茂駅に到着する。加茂の手前から山らしい景色にはいるが、まだ大阪からの住宅街が続き、近郊の様相を見せている。
 
加茂11時6分発の列車に乗り換える。ディーゼル2両連結のワンマンカーである。笠置山地を越えるために急に深い山の中を登っていく。川底はごろごろした石が堆積し、まわりには落石よけが作られ、砂の採取場がちらほら目につく。駅の間隔も急に広がる。しかし、昔のディーゼルカーに比べ、坂道をあえぎつつ登っているという感覚はない。
 
約1時間で伊賀上野に。急に視野が広がり、豊かな場所であることが分かる。列車は亀山駅へ。20分後に接続があるのだが、市内巡りをしたくて1本列車を送らせる。亀山の駅前は、静かな商店街が広がっているだけであるが、市街は20メートルほどの丘陵の上にあった。ここに旧東海道が通っている。東町の商店街はほとんど昔のものがなくなってしまい、アーケードの柱に本陣あとなどの位置が示されている。城下町でもあるため枡形に道が曲がっているが、その後を黄色い舗装で示している。西町にかけては古い町並みが続いていた。
 
ここから名古屋までも2両編成のワンマン列車だった。乗客の量と列車の輸送力が釣り合って折らず、途中から超満員に。四日市のコンビナートを眺め、長島付近で木曽三線を渡るとともに、はるか養老山地を眺める。揖斐川沿いが急崖になっていて、その裏斜面が緩斜面になっている様子、麓に集落が広がっている様子がよく分かる。うっすらと雪化粧をしていた。関ヶ原ほどの積雪はないが、名古屋から四日市にかけて良く雪が降るとのことで、この日も雨が降っていた。たしかに亀山から名古屋にかけては、鈴鹿山地の東麓の延長にあたる。
 
翌日、名古屋10時3分発の中央西線中津川行きに乗る。列車は高蔵寺、多治見で本数が減るが、なるほど高蔵寺までは市街地が広がり、その先は急に山が深まる。列車は多治見の手前で岐阜県に入る。徐々に雪が増え、遠くに木曽山脈の雪化粧した山々が見え始めた。王子特種製紙の看板を眺めつつ、11時14分に中津川着。中山道の要衝である。
 
約1時間の接続で、12時発の松本行きに連絡する。列車は急な勾配を登りはじめ、木曽谷を進んでいく。左右に山が迫り、深い谷底であることが分かる。左に右に流れていた木曽川が左に固定され、列車は進んでいく。谷底は白い花こう岩がで埋め尽くされているが、その範囲が何とも広い。よほど荒れる川なのだろう。それと浸食が活発に行われていることも伺わせられた。南木曾のあたりで長野県に入る。
 
谷沿いの少し広いところに集落が広がり、切り出した杉の幹がうずたかく積まれている。あちらこちらに製材所の文字が目に入り、杉林も広がる。手入れが行き届いていて、枝打ちも行われている林が多い。川にはところどころダムが作られ、発電所も多い。列車はさらに高度を上げ、上松の手前で寝覚めの床を通過し、木曽福島に入った。沿線で一番広いところのようで、建物も多い。その後も奈良井のあたりまで高度をあげて鳥居峠まで。
 
そこから、今度は下りになる。川の向きも反対に流れるようになった。この川は松本で梓川と一緒になり、信濃川に合流する。峠の反対側、諏訪湖から流れる川は天竜川だから、三つの大きな川の源の一つがここに集中していることになる。そんな様子を見ながら、列車は13時43分、塩尻着。すぐに茅野行きに乗り換えて14時16分。上諏訪に到着した。
 
上諏訪では1時間ほどの時間を利用して諏訪湖へ。12月に訪れたときはまだ湖は凍結していなかったが、この日はほぼ全面結氷していた。高さは高くないが、御神渡りを見ることが出来た。駅に戻り15時9分発高尾行きで東京へ向かう。左に八ヶ岳、右に甲斐駒ヶ岳。前方に富士山を眺めながら列車は進む。
 
小淵沢の先から、線路はやけにカーブが多い。釜無川に沿った高台の上を走っているためであるが、ここは韮崎火砕流のあとという、八ヶ岳が崩壊したあとのため、でこぼこが多いのだ。
 
甲府まで降りてきて、特急で帰ることとした。高尾からが遠いことと、少々疲れたからである。改めて乗り心地の違いを感じつつ、東京についた。
 
 

Posted by hajimet at 10:23 | Comments (0)

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