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2005年8月20日
勝浦

青春18切符を使って外房線の勝浦まで言ってきた。学校の歴史を調べていたら、明治の校長であった、勝浦校長が勝浦で勉強合宿をやって、そのとき泊まったところが勝浦館というところだったという記録があって、どんな町か見に行こうと思ったからである。
 
外房線に乗って茂原、上総一ノ宮と乗り継いで勝浦まで行った。特に時刻は調べなかった。接続に時間があたら、町歩きでもしようと思っていたからである。上総一ノ宮で40分近い待ち合わせ。ここは横須賀線からの快速列車の終着駅なのだが、駅前は…何もなかった。おみやげ屋さんと駅前食堂くらい。あとは海水浴場までの汽船乗り場の幟が目立つくらい。きっと繁華街は駅から離れているのだろう。駅前の観光案内所の前では細長い色のほとんどついていないナスを売っていた。
 
勝浦の町はそれほど大きくはない。3方が山に囲まれているからだ。駅前から5分も歩くと勝浦漁港へ行く。駅から漁港へ行く道が緩やかにカーブを描いていて、道の右手から海があらわれる。太陽の位置などから、感覚的に外房の海岸と逆の方向から海があらわれるのだ。一瞬内房にいるような気分になる。地図を見てみると、勝浦は湾になっていて、太平洋は岬の向こう側になる。町の発展している方向は太平洋と半島の反対側なのである。つまり、ミニ房総半島状態なので、感覚は正しいことになる。
 
勝浦館あとは事前に調べてあったので、そこを見たのち、図書館へ行く。市史でもないかと思ったからだ。しかし、市史は編纂中で、図書館の二階にあった市史編纂室の担当の人からお話を伺った。明治の末に勝山は保養地として売り出していたとのことだった。銚子より塩分濃度が高い。銚子よりも海水浴の効果があるということだった。そういえば、海水浴はレジャーではなくて、温泉などと同じ湯治のような位置づけだったことを思い出した。
 
図書館の裏山の見晴らしの良いところへ行こうとしたが、こちらはスズメバチがいるとのことで止められた。代わりに一つ隣山の遠見岬神社へ上る。名前の通り見晴らしの良い神社で、勝浦湾が一望できた。海沿いにホテル三日月の大きな建物も。三日月って、勝浦湾の別名だそうで、たしかに海岸線の形は緩やかな三日月型だ。
 
山を下りて海岸づたいに南へ行く。海沿いを10分ほど歩き100bほどの長さのトンネルをくぐり、八幡岬公園へ行く。トンネルは二本に分岐していて、片側は峠越え、片側は海岸沿いの道である。峠越えの道は途中の眺めはよいが、暑いときはきつかった。一方、海岸通りのトンネルは一部照明のないところがあって、そこを歩くときはスリリングだった。そういうときに限って車が入ってくるのだ。
 
公園は江戸時代の勝浦城のあったところで、徳川光圀のお祖母さんの生まれたところだ。城跡の片側には勝浦湾が広がり、湾の入り口の岩礁に立つ鳥居の脇を船が頻繁に通り過ぎていく。南には房総半島から伊豆大島まで見える。北側は太平洋への断崖絶壁に灯台が建ち、多くの船が列をなして勝浦に向かってくる。足下は海水浴やダイビングの服装をした人が…。改めて水平線が丸いことを感じた。
 
町へ戻り帰宅した。海岸沿いにはあちらこちらに乾物を作る工場があって、においが漂ってくる。

Posted by hajimet at 09:32 | Comments (0)

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