« 前のエントリー | Main | 次のエントリー » | Comments | Post a comment


2005年8月9日
御代田散策
志賀高原に続いて、8月4日から7日まで長野県御代田へ移った。こちらも仕事だ(ということはまる一週間家に帰れないというわけで…)。浅間山の麓に広がる町で、中山道と北国街道の分岐点でもある。浅間山は時折白煙を上げていた。宿舎の付近は粗く赤く変色した砂と岩があちらこちらに見えた。火砕流のあとである。
 
近くの浅間縄文ミュージアムでは常設展の他に皇女和宮降下の特別展をやっていた。縄文文化は、国宝となっているこの地域にしかない焼町土器が目をひいた。
 
半日御代田の町を散策した。出だしは真楽寺。用明天皇のときに創建された寺と伝えられる。浅間山の噴火をおさえることを祈願した寺だとのことだ。同様の寺は浅間山の反対・群馬県側にもあったが、江戸時代の大噴火の時に泥流の下になってしまった。
 
寺の下には浅間山の伏流水の湧口がある。この付近にはそのような湧水口が多くある。そこからは冷たい水がこんこんとわき出していて、池になっている。そこにオオヤンマが悠然と飛んでいた。水の味は若干硬さを感じた(資料によると若干酸性の傾向が強い)。
 
境内には厄除観音の他に三重の塔が建つ。他に古木や、芭蕉の句碑「むすぶよりはや歯にしみる清水かな」の句碑が建っていた。
 
真っ赤に塗られた仁王像が建つ門を出てぶらぶら散策する。同行者は水田をはじめて間近に見たと感激していた。考えたら、都会で間近で水田を見ることはなかなかない(ついでに虫も)。まわりにはカボチャ、スイカ、トウモロコシ、アスパラガス、ブロッコリーの他に高原野菜としてのレタス畑も広がっていた。途中多くの石仏、道祖神、石碑が広がり、集落には藁葺きの家が多く見られた。まだ半鐘も残っており、のぼり口には半鐘の鐘の叩き方の標が置かれていた。
 
かんかん照りの暑い中、普賢寺まで行った。途中、栗やカリンの木が多い。黄檗宗の寺で、1677年に開基された。こちらも浅間山の噴火をおさえることを祈願したということだ。古い建物は門以外残されていない。火災で焼失したとのことだった。
 
大雄殿の入り口には、中国風に魔除けの桃を描いた扉がつけられ、屋根にも黄檗宗独自の物が置かれていた。天上には竜画が描かれている。また、奥には、日本ではじめて刷られた八万大蔵経の経蔵があった。
 
大雄殿裏には石庭らしきものがある。大きな岩が建っているだけのもので、不思議な雰囲気であるが、釈迦の十代弟子をかたどったものだそうである。火山の焼け石を使ったものであるが、焼け石は通常「鬼」を象徴する。あたかも「渋柿転じて甘柿になる」ように「鬼」が転じて「仏」になることを象徴しているそうだ。翌日は、小諸まで足を伸ばした。
Posted by hajimet at 23:26 | Comments (0)

Comments


Post a comment