夢村土城
堀と背景
外側に築かれた冊
内部と土城

夢村土城(몽촌토성:モンチョントソン)は、1988年のソウルオリンピック記念公園の南側にあって、整備された公園となっている。風納土城から1kmほどの場所にあるが、風納土城が漢江そばの平地に作られたのに対して、こちらは低い丘陵となっている。土城は自然の地形を利用して、いくつかの丘をつないで作られた。そのため城壁の形は不定形であるが、おおよそ長方形をしている。

城壁の長さは全部で2285mあり、内部は216,000uある。城壁の最も高いところは40mになる。北側の城壁の外側には木冊あとが発見されている。高句麗軍からの防御のためである。北側と東側は濠が発見され、復元された。

中は緩やかな傾斜地である。3-4世紀頃の多くの遺物とともに百済時代の住居址や貯蔵穴などが発見されている。一時慰礼城にあてる意見もあったが、王宮に関する遺跡が1つも発見されず、戦争のための避難用の城だろうと考えられている。中国で作った土器なども多く発見されている。5世紀以降は高句麗系統の遺物が出てくる。ここは新羅以降廃城になったようで、その後作られた土坑墓や積石土坑墳が発見されている。

土城のそばには夢村歴史館が作られ、ここから発掘されたものや、周囲の百済(石村洞古墳群、風納土城など)、高句麗(阿且山保塁、古墳など)、新羅(阿且山城、二聖山城、虎岩山城)の遺物が展示され、この漢城の地が三国の角逐の場であることを実感することができる。また、住居跡も保存見学することができる。

百済時代の住居跡 土城から漢江、南山を見る 土塁から漢江、阿且山城を見る

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