風納土城
復元された城壁
 
風納土城(プンナップトソン)は漢江の南側、地下鉄千湖(風納土城)駅の近くにある。百済の北に対する防御線である阿且山城(아차산성:アチャサンソン)とは漢江を挟んで向き合っている。土城は全体として長方形のプランであるが、漢江のすぐ脇の、河川敷の延長のような所に城が築かれたため、漢江側は1925年の大洪水で南側の土城が流失して城内には大量の土が流れ込んだ。このような立地の城跡は他にもいくつか見られる。

本来土城は3.5kmほどであったが、現在残っているのは2kmほどである。長いこと土城の性格はよく分かっていなかったが、近年の土城部分の発掘で、基礎部分が幅43m、高さ9-11mほどあり、外に堀があったことが分かった。城壁は版築で築かれているが、細かい砂だけで築かれていて、石が交じっていないことも特徴である。

遺物も百済時代の最高級品で、そのための施設も発見されている。祭祀遺跡も発見され、穴には祭祀に使われた道具が埋められていた。同時に12頭の馬の首も見つかっている。中国との交流を示す物品も多く見つかっている。そのようなことから、三国史記に言う、百済の王城である河南威礼城だろうと考えられている。今後のさらなる調査が期待される。

整備前の姿 出土物(夢村歴史観) 風納土城から見た阿且山城

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