和多都美神社(仁位)
拝殿 5基一直線に立つ鳥居 神社脇の水路

仁位近くにある神社である。和多(わだ)は韓国語の海にあたる「パダ」と同じ言葉とされる。仁位付近は魏志倭人伝の「対馬国」の中心地の一つと考えられている。また、宗氏が最初に拠点をおいたところもここであった。社名は古くは「渡海宮(わだつみのみや)と称していたものを、明治に入り「大島神社」と改称し、さらに現在の名前に再改称された。

神社はかなり古くからのもので、社殿では859年に清和天皇から従5位の神位を授かっている。また、ここは海幸彦、山幸彦伝説の発祥地と伝えられている。すなわち、神社を作った豊玉彦の娘、豊玉姫を、釣り針を捜しにここにやって来た彦火々出見彦(山幸彦)が娶ったというものである。同系の神話は多くの地域でみられる。神社に向かう鳥居は海中まで連なっていて、その先へ一直線に延ばすと、新羅の古都、慶州へ行くという研究もある。また、拝殿の両脇まで海から水路が作られていて、ここが竜宮であることを連想させる。

境内左側には、磯良恵比須という鱗状の岩(盤座とされる)があり、三本柱の鳥居が立っている。この形の鳥居は京都太秦の蚕ノ社でも見ることができる。また拝殿に向かって左手にも三角鳥居があり、下に石が祀られている。竜宮城の亀と言うことである。また、神社の後ろには原生林が残され、神社の原形形式が残されている。

鳥居 磯良恵比須と三角鳥居 三角鳥居と亀

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