朝鮮国王姫の墓
青梅からさらに北へ車を走らせた女連(うなづれ)にある。豊臣秀吉の朝鮮侵攻のときに連れてこられた朝鮮国王、宣祖(ソンジョ:선조)の王女がここで死亡したと伝えられる。墓碑にそのことを示す文字が彫られていると言うが、風化が進んでいて確認出来なかった。

文禄慶長の役の時には多くの人が朝鮮から連れてこられているが、中には王族もいた。王子の1人は加藤清正に連れて来られ、日蓮宗の僧侶となり、清正の死後、追悼のために清正公とよばれる寺を東京の港区に建立したりもしている。

墓のあるところの字は「佐奈豊」とよばれ、江戸時代まで集落があった。今はそれを示す説明版だけがある。

入り口(佐奈豊トンネル入り口) 説明板 近くに見られる標識
 
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