小西マリアをまつる

厳原の中心の八幡宮神社の末社である。正式な名前は今宮若宮神社である。小西マリアは、1592年の文禄慶長の役のときに中心的な役割をしたキリシタン大名、小西行長の娘である。そのときから、徳川時代初期に日朝の国交回復に尽力した対馬藩主、宗義智に嫁いだ。熱心な信仰生活で、義智もキリシタンに入信させた。

関ヶ原の戦いで小西家は滅亡するが、それにともなって宗氏から離縁され、長崎へ行 き死亡したとされる。宗義智はキリシタンを捨てるが、小西マリアはキリシタンを守りつづけた。その霊魂を慰めるために、ここに神社を作った。宗義智の墓は万松院にあるが、他の一族が夫婦一対で墓を作るのに対して、義智は1人だけの墓である。

神社の鳥居は2つあるが、右手が八幡神社、左が若宮神社などの2つの神社の鳥居である。境内には陶山訥庵の顕彰碑や、いずれかの戦争の時の砲弾、供養塔がある。

今宮・若宮神社 説明板 陶山訥庵顕彰碑
 
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