一須賀古墳群

一須賀古墳群は河内から大和へ抜ける、河内側の入り口の尾根の上にある古墳群である。すぐ北側の谷は磯長谷で、聖徳太子、用明天皇、推古天皇などの墓・陵があり、竹内街道が二上山に向けて通っている。

この地域のおよそ東西・南北1.5kmの間に250基近い古墳が群集している。6世紀後半を中心に作られた、小円墳でが中心で、尾根ごとにいくつかのグループに分けられる。現在は大阪府立近つ飛鳥博物館を中心とした「近つ飛鳥風土記の丘」の中にある。

この古墳群は周囲の古墳と異なり、渡来系のものと考えられる副葬品が発見される。特にミニチュア炊飯具と呼ばれるものが出てくることで知られる。現在ここからは20例近く発見されているが、これは、滋賀県湖西地方などごく限られた範囲でしか発見されていない。また、古墳の近くから発見される須恵器、須恵器窯は朝鮮半島から技術が入ってきたごく初期の頃のものであることが分かっている。

古墳群のある谷の入り口にあたる南河内地方は渡来人の集住地帯で知られる。様々な渡来系氏族の寺院神社が残されている。渡来人が日本に来る波は数回に分かれるが、5世紀前後にも波がある。河内、難波方面から大和への入り口を守るために、ヤマト政権はそれまでの在地勢力を排除して、渡来人を配したと考えられている。この古墳はその関係ではなかろうか。

石室 石棺 石室

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