鮑石亭(ポソックチョン)


新羅時代、貴族は季節ごとに住まいを移して季節を楽しむ習慣があった。王族も同じである。鮑石亭(포석정:ポソックチョン)はアワビの形をした溝があるためこのように呼ばれる。ここで曲水の円を行い、酒宴が繰り広げられた。アワビの城に実際に水を流すと非常に複雑な流れやよどみができて、盃が一気に流れ降りないようになっている。この周りにある石は海の石が多い。アワビの形とともに、海のない新羅人が海にあこがれたためともいう。

ここは新羅最後の舞台でもある。新羅の事実上最後の国王、景哀王(경애왕:キョンエワン)がここで殺されたのである。このころ、新羅の国力は落ち、後三国時代に入っていた。慶州一帯は後百済の甄萱(견훤:キョンフォン〔=しんけん〕)に囲まれていた。しかし、景哀王はそのような状況を無視して、ここで宴会を繰り広げていて、奇襲を受けたのである。927年のことであった。

次の国王は、高麗の都の開城に移り、そこで高麗王王建(왕건:ワンゴン)に位を譲るから、事実上、この攻撃で新羅は幕を下ろしたのである。なお、この近くには新羅最初の国王、朴赫居世(박혁거새:パクヒョッコセ)の誕生にまつわる遺跡がある。南山には新羅の始まりから終わりまでのすべてがあるのである。

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