五女山城(2)
東門 点将台より

山城の平坦なところには大型の住居跡がある。これらからは高句麗初期の時代、前漢の「五鋳銭」や「大泉五十銭」が発見されている。このうち2号大型建物跡は傾斜地を整形して20m×9.5mの範囲に土台石が置かれている。一面は崖になっている。また、3号大型建物は22m×16mの基壇で、3方向が切石積み、1方向が土でカマドが作られる。そこには石組みの煙道も発見されている。中国東北の諸民族や朝鮮民族が使用するオンドルの原形だと考えられている。

もっとも見晴らしの良いところは瞭望台(点将台)となっていて、足下が一望できる。現在はダム湖になっているが、そこには高力戸古墳群など、高句麗初期の古墳群があった。山の下、南側には城壁が築かれる。石組みを少しずつ後退させて積む高句麗式の積み方である。南側に一列に築かれており、所々に監視の兵舎の跡が残されている。

国内城-丸都山城と同じく、すでに五女山城でも五女山城−平原城(下古城址土城)という組み合わせで城が築かれたとされる。

オンドルの石組み(建築群址) 2号大型建物跡 3号大型建物跡

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