金漢重墓(大阪市)

竹林寺は大阪市営地下鉄九条駅近くにある寺である。慶安2年に、淀川河口の砂州を埋め立てて「九条島」を作ったときに作られた。対馬を出発して、途中数カ所に立ち寄りつつ船で来た通信使一行は大阪の淀川河口で小船に乗り換えて市内へと向かった。一行は大阪で宿泊した後、さらに淀川をさかのぼって京都まで行く。その船の乗り換え口の近くにある寺で、通信使の宿所になったともいわれる。

境内に「金漢重(キムハンジュン)」墓がある。1764年に徳川家治就任祝賀のために来日した通信使の1人である。このとき体調を崩した金漢重は竹林寺で療養したが、同年2月に死亡した。本国には妻と二人の子供がいた。この通信使のときは、同年4月に崔天宗(チェチョンジョン)が殺害される事件もおきている。崔天宗の供養も竹林寺で行われた。

大阪では西本願寺に宿泊したが、上陸直前に高麗橋をくぐった。この橋は大坂城の外堀である東横堀川に架かる橋で、江戸幕府の公儀橋で高札場がおかれた。明治時代、大阪の道路の里程元票が置かれるなど、大阪の中心にある。1604年には擬宝珠を持つ橋として架けられていたことが分かっている。

高麗橋という名前の由来についてはよく分かっていない。朝鮮からの使節を迎えるための「高麗館(迎賓館)」の名前に由来するとか、秀吉が大阪の区割りをするときにこの地域がすでに朝鮮との通商の中心地であったからともいわれる。

墓石(左面)
(死亡理由)
墓石(右面)
(死亡年月日)
高麗橋欄干

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