おたあジュリアの墓
(切頭山教会)

切頭山(철두산:チョルトゥサン)教会は1866年、時の権力者、大院君によってフランス人 宣教とはじめ、キリスト教徒が斬首された場所である。そのために切頭山と名付けられた。大院君による書契に対抗してフランスは江華島な どを占領した。

切頭山には「おたあジュリア」の墓がある。ジュリアは豊 臣秀吉の朝鮮侵攻の時に、キリシタン大名の小西行長によって日本に連れて行かれた。小西が死亡した後徳川家康に引き取られたが、信仰を捨てなかっために太 平洋の神津 島に島流しとなり1652年に死亡した。神津島に墓とされるものがあったが、1972年にここに移された。なお、殉教の地は他にも多くあり、龍山タンコ ゲ゙(당고개)にも聖地がある。
  
教会全景 ジュリア像
(殉教記念館)
妙に韓国的な伝道の絵 タンコゲ
(韓国的な塔)

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