清
涼堂
石碑
(先
農壇)
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地下鉄1号線「祭基」(제기:チェギ)駅近くにある先農壇(선농단:ソンノンダン)を調べているときに偶然見つけた。先
農壇は朝鮮時代に農業の神を祭るための場所だ。そのすぐ手前、踏み石状になって倒れていた。
「○過ぎ率い挽過に生かせ」
(右肩)
「清涼堂」
「渋柿の渋味 そのまま甘味かな」(左肩)
漢文6行(下方)
近くが清涼里というところであるから、それに因んだ店だろうか。干し柿の店の
ようにも思えるが、詳しい資料は今のところない。
後
日この石碑について指摘があった。まず中央の文字は「清涼台」で、京城女子師範学校の裏手の丘に立っていたものとのことだった。京城女子師範学校裏手の丘
を清涼台といったとのことである。京城女子師範学校の校歌にも「松風冴ゆる、清涼台」と歌われていた。実際に清涼台の上に立っている写真も残されている。
渋柿の句は、渋柿の渋みが、太陽の光によって甘みに変わることをいう俳句で、仏法の説法でよく使われている。