埋葬者について
エッ ケルト
(1852-1916)
ドイツ生まれ 音楽家。1889(明治12)年海軍 軍楽隊に招聘されて日本に来たが、陸軍軍楽隊,
音楽取調所、宮内庁雅楽科の教師、文部省小学唱歌編 集顧問なども兼務した。「君が代」の編曲、
天皇の葬儀の時 に演奏する「哀しみの極み」などの作曲をした。日本の近代音楽に多大な影響を与えた。

1899(明治32)年、帰国し「プロシヤ王室楽 長」の称号を得たが、1901年には大韓帝国に招請された。
大韓帝国でも日本と同様の活動を行い、「大韓帝国愛 国歌(国歌)」「大韓帝国行進曲」などの作曲を行った。
日 本の植民地になった後は職を辞し、 西洋音楽の演奏会を開くなど、韓国の西洋音楽導入の普及に努めた。
曽田嘉一
(1867ー1962)
山口生まれ。1913(大正2)年朝鮮に 渡る。鎌倉保育園京城支部に勤務。3.1独立運動の時には、
刑務所にいる若者への教育に力を注いだ。終戦直前まで韓国全土で福音を続けたが、
戦後は日本 に戻り活動した。95歳で再び来韓したおりソウルで死亡した。奥さんも1950年にソウルで死亡した。
 
フィッ シャー・ベンジャミ ン・ヘンリー(1874?-1937) フィッシャー・フク氏(1842没)
詳細
 
Kim Churistopher Hankami(1969-1985),Kim Scott HansolKim Chon Ok-ja(1943-1985)
いずれも日航機墜落事件の犠牲者。墓碑には父親の送 る言葉が刻まれている。

日系人の子供の墓と思われるものも多数ある。日本人でなくとも、多くの人が日本と関係したり滞在経験がある。 
参考文献 The Seoul Foreigners' Cemetery at Yannghwajin Donald N. Clark
 
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