映 画振興公社(旧旧総督府)
旧 旧総督府(統監府) 映 画振興公社(入口に標示石あり)

日本人がソウルに住み始めたとき、多くが南山麓、和城台に住んだ。和城台とは 豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時に日本側が拠点としたからである。もともと西大門(서대문:ソデムン)の近くに公使館はあったが、壬午政変(日本名:壬午軍乱 (1882))で焼かれてしまい、ここに移ってきた。第2次日韓協約以後、統監府も和城台に移って植民地となったときに(1910)、そのまま朝鮮総督府 と なった。

朝鮮総府が景福宮前に移る と跡地は科学館となった。今、映画振興公社となっているが、その入り口には統監府時代にここで抵抗運動をしようとした人を記念する標示石が置かれている。 公社の裏手にはリラ初等学校があるが、その奥には灯籠と手水鉢が置かれている。灯籠は机に、手水鉢は植木鉢になっている。

逆さになった灯籠(リラ) 手水鉢(リラ) 手水鉢(リラ) 町中にも残る
(南山洞)

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