崇義女子大学 校
(京城神社跡)

(表)「望 まばや 名山をみる 梅雨晴れに」  夕隣庵下城
(裏)和歌山県 山路右近進 大正12年4月建立(天宮参道竣工祭の月(京城日報))
(遠くを 眺めると、名山を見ることができる、梅雨晴れの風景の中に…(北漢山のことか)太田剛四国大学准教授による)

南山(남산:ナムサン)の中腹にある崇 義(숭의:スンウィ)女子大学は、「京城神社」の跡にある。南山下は日本人街で、今でも多くの日本人家屋が残っている。拝殿は高校の校舎 の場所にあって、解放後、学校の礼拝堂となった。

学校入り口に当時の 階段を移されて使われるなど、方々に当時の神社の名残と思われる石材がある。裏には最近土中から発見された句碑なども置かれている。ここには「乃木神 社」、「天満宮」、「稲荷社」などもあった。乃木神社は隣のリラ初等学校の校舎の場所である。

【追記】
この句碑は、1999年に「ソウル市内日帝遺産踏査記(邦題:ソウルに刻まれた日本)」を翻訳出版するため、ソウルにいた日本人と現地巡検をした際に、崇 義女子大の職員から紹介されて「発見」し たものである。すでに出版されていた「旅行ガイドにないアジアを歩く『韓国』」(梨の木舎 1995)や、国会図書館にあった日本時代の地図などを参考に 巡検したのだが、どちらにも句碑のことはなかった。そこで 「統一日報」に一報し、報道してもらった後、「ソウルに刻まれた日本」(桐書房 1999)109頁で紹介した。出版時は句碑が読み切れなかったため、の ちに太田准教授と 現地を訪れて 解読してもらった。ただし、正確に読み取るためには、拓本が必要である。

昭和4年の銘あり 逆さに置かれた寄進石 おそらく鳥居の柱(2002年発見)
 
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