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田平教会

天 主堂

田平教会は1917年に竣工した教会である。田平与助の設計。煉瓦および木造の建物で、ロマネスク様式と中央の八角ドームが特徴的とされる。天主堂とともに、門柱、石段、石垣、墓地などの環境が良く残されているとされる。

天 主堂のある地は、外海地方で布教にあたっていたド・ロ神父が土地を買い、外海から信者を移し、1888年に仮御堂が建てられたとのことである。外海、浦上は耕地 が少ないため、18世紀末頃からサツマイモの栽培技術を持った人びとが、可耕地などを求めて、五島や平戸に移り住んだ。

彼 らも潜伏キリシタンであったが、元々の平戸、生月の潜伏キリシタンとは信仰形態が異なっていた。おそらく、禁教の時期が異なることに理由があるのではない かと考えられている。平戸が、キリスト教の入ってくる時期も禁教の時期も早かったことに対して、外海、大浦が禁教令が出るころまで信仰が続けられた点が異 なる。1873年に禁教令が解かれるが、その直前から長崎で、あらたな布教が始まり、復活するキリシタンも多く現れた。しかし、大浦や外海系統の信仰を 持っている人の多くが復活しているのに対して、平戸、生月系の信仰を持っている人でカトリックに復活する人はそれほど多くなかった。これも、このような形 態の違いに基づくと考えられている。

平戸周辺のカトリック教会は、外海、大浦から移ってきた人(とくに明治期に入ってカトリックとして移住した集団)によるものが多いようだが、田平教会もそのうちの一つと言えるのである。。






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