小麦様の墓(根獅子)

小麦様の墓

松浦鎮信が朝鮮出兵し、全羅城(と伝えられる)を攻撃したとき、小麦畑に隠れていた高貴な女性を連れ帰ったという。小麦様という名前はここから来ている。鎮信が側室として、松浦蔵人信正を産んだ。後に本人の希望で朝鮮に近い根獅子に住んだ。

墓 は四角く石積されてつくられたもので、この地域の墓制のようである。墓は最教寺にもある。その墓である。二基あるように見えるが、特に説明は無かった。小 麦様を祀るところは、平戸にもある。供養塔のようなものが崎方公園に行く途中におかれているが、さらに、最教寺の境内にもあるという(未確認)。

文禄慶長の役のとき、朝鮮から多くの人が連れてこられた。高麗町の陶工もそうだが、中にはヨーロッパに売られていった人びともいた。当時の貿易港は平戸であったから、この町から連れていかれたのであろう。スペインにはコレアを表す姓の子孫がいるという。




小麦様の墓 根獅子遠景(墓は左手、崖の途中) 小麦様(平戸崎方公園入口)

前の頁     目次    HOME      次のページ