三浦按針の墓


夫婦塚

ウィリアム・アダムス(三浦按針)は1564年生まれ。イギリス人であるが、東洋航路の研究のために、オランダの東洋探検隊の航海長としてリーフデ号に乗り、豊後に漂着した。漂着後、家康の外交顧問となり、三浦郡逸見に知行地を得た。

三浦按針は平戸のオランダ商館の開設などに尽力したのち、イギリス商館長コックスの舌で活躍した。ヒアとの自宅にいるときはイギリス国旗を掲げていたという。1620年没。平戸に葬られた。

平 戸にはイギリス人墓地があり、そこに葬られたのだが、1638年に破壊されて、跡形も無くなっていた。明治15年にここを掘ったところ、21体分の白骨が 出てきたという。そのために、ここに無縁塔を建て、さらに三浦按針の墓が作られた。その隣に三浦夫妻の夫婦塚がある。これは、イギリスに眠っている按針の 正妻を供養するために、墓の小石3つを葬ったものである。




三浦按針邸宅跡 解説板 三浦按針終焉の地

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