大成洞(대성동:テソンドン)古墳群
古墳(囲みの中が古墳) 古墳群全景

亀旨峰(구지봉:クジボン)のすぐ南にある。高さ20mほどの平坦な丘陵とその周囲の低地一面に作られた大規模な古墳群である。丘陵部分は公園となって保存されているが、その丘陵も削平されたところがあり、周囲も急速に住宅街となりかなり破壊が進んでいる。

2世紀から6世紀までのもので、狗耶、金官の生活・社会の様子や、日本や中国との交流の様子を示す。穴を掘って木棺などで埋葬されたものが多い。また、木槨墓の場合は墳丘を作ったらしいが、木槨の崩落とともに墳丘も消えてしまい平坦になっている。そのため発掘された跡は石で囲われどこに墓があるか分かるようになっている。なお、明瞭な墳丘ができるのは5世紀になってからである。

大成洞古墳群の特徴は、丘の上に3世紀頃から突然副葬品を多く持つ木槨墓が作られるようになったことである。それまで金官の中心はより内陸にあったものと考えられるが、大成洞の地域に中心勢力が移り、他と比べて大きな力を持った支配者ができたことを示している。
3世紀末頃に作られた29号墳からは大量の土器、鉄製鏃、刀子、刀の副葬品が発掘され、さらに床からは板状の鉄斧もでてきた。青銅器、玉などもちりばめられ、厚い埋葬をしている様子が分かる。

さらに規模の大きくなる39号墳からは2体の殉葬者も発見されている。29号墳と39号墳は現地に墳墓の様子が復元されているが、39号墳が29号墳を切り欠いていてその関係が論ぜられる。遺物からすると北方の騎馬民族の文化が強力に流入したようである。これらの墓からは倭系の遺物も出てきて、当時の金官伽耶の国際的な地位がよく現れている。

なお、5世紀になると突然このような大規模な墳墓は作られなくなる。400年に新羅高句麗軍によって打撃を受けたことと関連していると考えられる。その後中心勢力がどこに移ったかも今のところわかっていない。

木槨を作る様子 39号墳 29号墳(左)と39号墳副槨(右)

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