金首露王妃陵
金首露王妃陵 前方は亀旨峰

亀旨峰の 隣にある。神話によれば、インド阿踰陁(アユタ)国の王女で、許黄玉(허황옥:ホファンオク)という。両親が夢で「駕洛国の首露王は、天から下りてきて王になった神聖な人であるが、まだ伴侶がいない。そこでお前の娘を送れ」と上帝からいわれた。さらに目が覚めてから、再び声が聞こえてきたので、はるばる船で金海まできたという。48年に首露と結婚した後、189年に157歳で亡くなったという。日本神話でクジフルノタケに降りたニニギノミコトがコノハナサクヤ姫と結婚した話と構造的には似ているという。

陵の形式は金首露王陵と同じく統一新羅期の形式である。作られた背景は金首露王陵と一緒であろう。また1641年に修築されている。わきには王妃がアユタ国から持ってきたとされる石塔が建っている。婆娑(파사:パサ)石塔といい、韓国では他でみることの出来ない形式の石塔である。石はインド産と言われる。金海虎渓寺(호계사:ホゲザ)に建てられていたものを移してきた。

婆娑石塔を納める碑閣 婆娑石塔

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