西新町遺跡
修猷館高校

福岡市の修猷館高校一体にある遺跡である。古墳時代、それまでの伊都国の独占的な交易から、博多湾沿岸部を含めた広い範囲で活発な交易が行われるようになった。西新町遺跡も古墳時代の前期に新たに開かれた交易港である。渡来人による大量の伽耶系、百済系土器が出土し、板状鉄斧などの鉄製品や五銖銭かなど豊富な遺物が出土している。カマドやオンドル遺構も出土していて、弥生人に交じって渡来人が生活していたことも分かる。日本の内部では山陰、瀬戸内海、畿内系統の土器が出ていて、大和王権との関係もうかがい知ることが出来る。この時期すでに大和王権の力が強くなり、九州に代わって朝鮮からの鉄資源を入手す るルートを確保したと考えられるという。

実際、伽耶地域で出土する倭系遺物も3世紀までは北九州系の遺物であるのに対して、4世紀以降は近畿系のものに代わることが知られている。また、大和政権が百済と直接国交を結んだのが4世紀近肖古王のときであり、沖の島の祭祀も始まり、それを司る宗像氏の力が伸び、大和政権と強く繋がっていく。西新町遺跡 が出来た時期は、このような時期であると考えられるのである。

なお、遺跡は発掘後完全に埋められ、遺跡を偲ばせるものは現地にはない。
    

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