羅城(나성:ナソン)
羅城(陵寺わき) 東門址(倭人はここから城内に入ったとされ る)

扶余には都の防御のために町の周囲に城壁を築いた。これを羅城という。版築の低い土城であるが、腰部に石を貼っている。聖王(성왕 日本書紀では聖明王 6世紀半ば)のときに築き始めたものと考えられ、7世紀初めに完成したとされる。

城壁全体の長さは8.4キロ、それに囲まれる城内の面積は63万2846uとされてきた。しかし、現在確認されている羅城の長さは6.3キロである。従来、羅城は扶余全体を囲むと考えられていたが、西、南には築かれていなかったことが分かったためである。西、南は白馬江が蛇行して流れているので、それを利用して防御線を作っていたと見られている。北側は扶蘇山城を出発して、扶蘇山のすぐ脇にある青山城の土城を通過して、南に向きを変えていた。現在多くは破壊されているが、陵山里古墳群付近はよく原状が保存されている。

羅城が南に向きを変える地点(消滅) 青山城

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