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2014年12月1日
倫理授業 20141128 仏教(5)

部派仏教
ブッダ死後100年近くが経過し、
狭義の解釈をめぐり仏教は大きく2つの流れに分裂した。
それぞれがさらにいくつもの部派を抱えているため、この時期の仏教を部派仏教という。
紀元前1世紀には18の部派に分裂したという。

出家者はお布施で生活していたが、
ブッダは「金銭」でお布施を受けることを禁止していた。
しかし、経済力がついて、金銭で布施を希望する人が増えたのである。

これに対して、
(1)ブッダの定めた戒律を守るべきとした、保守的な上座部
(2)社会の変化を受け入れ、ブッダの戒律を厳密に守ると言うよりは、
ブッダの精神を重視すべきと言う、革新的な大衆部に分裂した。

両者はそれぞれ上座部仏教と、大乗仏教に発展するが(大乗になるにはもう一段階ある)、
この時点では、共に阿羅漢を目指す、自己解脱に焦点を置いたものであった。
阿羅漢とは、この世で最も高いレベルに達した段階を指す、インドの言葉である。


つまり、ブッダがこの世で解脱でき、ダルマを悟ったのは、
現世だけでなく、過去数回輪廻を繰り返して、修行を続けたからで、
我々がこの世で一回だけ修行して、悟ったとしても、ブッダの世界にたどり着けない。
したがって、最高の水準に達した阿羅漢を目指すのがベストだと考えられたのである。

このような時期、仏教を保護する王が現れた。
紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショカ王(阿育王)である。
アショカ王は征服戦争によって、多くの人を殺害した。
その反省から仏教に帰依し、仏教を理想とした政治を行おうとした。
そして、仏教を広めようとした。

 まずはスリランカ。仏教は北インドで信仰されていたが、 スリランカに伝えられたことで、
 南伝仏教の基礎が出来た。 

 そして、シリア、エジプト、ギリシアである。
 ギリシアからは寺院遺跡が発見されている。


また、アショカ王は、ブッダ死後8つに分けられていたブッダの骨を8400に分けて全国に分けた。

さて、このような部派仏教の時代。信仰も大きく変わった。
1.仏足跡、遺骨、菩提樹信仰
 まだ、仏像は出現しない。ブッダに関係するものが信仰された。
 遺骨はストゥーパ(卒塔婆=墓)に埋葬される。このストゥーパは基本形を残しながらも、
 形を変えて日本に入ってきている。つまり「塔」である。

中国で高い塔になるが、中国は磚塔、朝鮮は石塔、木塔となる。
朝鮮は木塔は作られなくなるが、反対に日本は木塔が中心となる。
石塔は地震に弱いからである。

2.前世物語。
ブッダが前世から修行していたということ自体が前世物語のたまもの。
ブッダは輪廻を扱っていない。現世での「苦」がなぜ生じるか、現世でどう解脱するかが
重要だからである。仮に前世があっても、そこでの経験は前世の縁起によるものであって、
現世とは関係ない。修行を続けた結果というのは「業(カルマ)」の考えが入り込んでいる。
インドの人にとって、輪廻の考え方から離れることは出来ないために、
ブッダの前世物語が出来上がった、

3.信仰すべき「法」信仰と、ブッダに対する人格信仰の融合。
これにより、ブッダ自体が「法」ということになり、永遠不滅のブッダという考えが出来上がる。
仏像が作られる前提が出来上がった。

4.ブッダの言う、真理を説いて入れば、ブッダが死亡した後に作られたものも仏説となる。
聖書と違う所。聖書はイエスの言葉が中心であるが、ブッダは「法」を語っているから、
様々な観点で「法」は説明できる。日本でよく読まれる般若心経、法華経、華厳経も
ブッダの死後、かなり後になって出来た経典。

このように、部派仏教が信仰されるようになり、インド以外に広まっていった。

上座部仏教(南伝仏教)
 スリランカ、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアへ

大乗仏教(北伝仏教)は2つの流れとなる
 (1)中央アジア―中国(経典漢訳)、朝鮮、日本、越南(漢字圏の国々)
 (2)チベット(チベット仏教)―モンゴル―満州

一方インドの仏教は衰退した。理由はインドが農村社会に変化したからである。
仏教は都市国家の出現に伴って生じた新宗教運動の中から登場した宗教である。
それゆえ、都市をベースに発展した(布施も、生活に余裕がないと出来ない)。
しかも出家主義をとっているので、教団が何をしているのか周囲からは分からない。
その結果、思うほどは普及しなかった。

一方で、バラモン教から発展したヒンドゥー教は農村基盤で、在家主義であった。
それゆえ、インドの人びとに広く信仰されるようになった。

仏教も、ヒンドゥー教の神や儀式などを取り入れ(例・帝釈天、阿修羅)、
信仰を拡大しようとした。それが、密教であり、日本に入ってきて真言宗となる。

このように、ヒンドゥー教が拡大したこととともに、
イスラム教の拡大によって、排除されてしまった。
イスラム教はヘレニズム文化の地域に広がるが、
仏教もまた北ンドから中央アジアの宗教だったのである。
(次回は大乗仏教)


Posted by hajimet at 20:39 | Comments (0)

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