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2014年9月9日
倫理 20140908 プラトン(2)

前回続き。
魂はイデアの世界に自分がいたことに気づいてしまった。
気づいた以上、魂はイデアのことが思い出され、
イデアへの憧れ(エロース)が生じる。
 
そのようなエロースを原動力として、イデアを思い出そうと想起する(アナムネーシス)。
(ソクラテスの知行合一、知徳合一)
そのようにして、イデアを理性で認識するわけだが、
最高のイデア、イデアのイデアである「善」を認識できる人が
「善美の人」であり、そのような人こそ幸福な人である(福徳一致)。
 
2.魂の三分説、四元徳
さて、魂はイデア界に行きたがっている。知りたがっている。
しかし、牢獄である肉体の影響を受ける。勝手に抜け出せない。
そのため、魂(ピュシス)は地上に近い部分から3つの部分に分けることが出来る(三分説)。
 
 理性(知識) イデア界の認識(頭)  
 気概(勇気) 意思部分(脳)…理性の命令があれば、総行動せざるを得ない。      
 欲求(節制) 欲望(手足)        
 
気概と欲求は二頭の馬のようなもので、それをコントロールするのが理性。
理性によってコントロールされて調和を保つ状態が「正義」である。
そして、知識、勇気、節制、正義の4つの徳をギリシアの四元徳と言う。
 
3.哲人政治
さて、ギリシアでは、ポリスで政治が行われたが、
ポリスでは話し合いによってポリスの政治方針が決められた。
すなわち、ロゴスが交わされ、ポリスとしてのロゴスが決定されることになる。
それゆえ、ポリスのあり方は、一人の人間の魂と同様に考えることが出来る。
それは、
 統治者(哲人)
 防衛者(武人)
 生産者(庶民)である。
哲人は哲学者のことであるが、政治は「善」を志向して行われるもので、
何が「善」か、「善」のイデアかという真実を知りうるのは哲学者でしかいない
 
実際にプラトンはこれに基づいてシラクサで2回政治を行っているが失敗した。
しかし、これによって政治権力と哲学思想を結びつけた所に意味がある。
当時のギリシアの政治が衆愚政治に堕落していたときで、
政治は、何らかの政治思想、どのように国を持っていくかの思想がなければならないことを
示したからである。
 
この両者が結びつくことによって、似而非哲学が出てくる可能性は否定できないのだが、
一方で、何らかの視点で現実の世界を批判できなければならず、
それが出来てこそ、政治を行うことが出来ると言うことを言っているといえるのである。
 
これらによって、プラトンは徹底的にソクラテスを理論化しようとしたことが分かる。
 
 
 
 

Posted by hajimet at 19:44 | Comments (0)

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