朝、F氏と合流。昼近くまで市内をぶらつく。 まず、ホテルから東大門(興仁之門)へ歩いて行く。
.jpg) 近くは、朝鮮族の関係の店も多く、串(ヒツジ)と書かれた店が目に入る。露店も多く出ているが、やはりトマトは果物扱いである。鯛焼きの屋台には「カマボコ味」というものがあった???。
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  東大門から東廟まで。今回の旅行のメイン。関帝を祀る廟である。1592年の文禄慶長の役のとき、朝鮮王を冊封していた明は、朝鮮を助けて援軍を出した。この戦争は日本の敗退で終わるが、その勝利は明が援軍を出したためだとして、明は中国の戦いの神である関帝(関羽)の廟をつくって祀るように言ってきた。そこで作った廟である。関羽は漢民族が信仰する道教の神であるから、さすがに韓民族が信仰する訳にいかない。そこで、都城内に廟を作ることはせず、城の入り口の直ぐそばに作ることにした。道教関係の廟としては、漢民族以外の民族が祀る珍しい例となった。 なお、道教文化の影響を受けた先農壇や先蚕壇のようなものは数多くある。
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 .jpg) 続けて東大門の脇から城壁づたいに駱山を登る。一寸した高みに上がっていくだけだが、韓国では「登山」という。気温のわりに湿度が高く蒸し暑い。
 .jpg) 山を下りて、李承晩邸の脇を降りて、大学路に。変わったものがあった。多分貝だろう???
.jpg) 旧ソウル大学本館前のマロニエ公園そばで一休み。ここにソウル大学があったことを示す祈念碑があるが、1946年開学は書かれているが、それ以前の旧京城帝大については一言も触れられていない。
.jpg) .jpg) 恵和洞でバスに乗る。ラーメン店や居酒屋など日本語で書かれた店が多い。街路樹は松なのだが、何となく旧街道を歩いているような不思議な雰囲気だった。
.jpg) 昼は韓定食。外数人と合流して。
 その後、町をぶらつきながら、本屋、JALの事務所により明洞を歩いてホテルに戻った。大分中国語が増えた事が分かる。看板なども、韓国語、中国語、日本語の順で書かれているものが多い。町中も日本語よりも中国語が氾濫している。 そういえば、昨日昼を食べたロッテ百貨店のメニューも、まるで「中華料理」のメニューを見ているような感じになるほど漢字だらけであった(その漢字をみてもどんな料理か見当がつかない) 韓国に二回目に行ったときに泊まった豊田ホテルの前を通ってホテルに帰る(すぐ裏)。
.jpg) .jpg) 夜は知人と会って、チュオタン。
 
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