« 前のエントリー | Main | 次のエントリー » | Comments | Post a comment


2013年4月15日
交流よりも、人とつきあうことを(竹島、尖閣問題を前にして)

…2012年、竹島、尖閣問題が起きたときに書いたものです。
 
ここのところの日韓、日中の軋轢。色々考えることがあるが、
決定的に大きな違いがあることにも気づいた。

韓流ブームの存在である。韓流ブームの結果、韓国に関心を持ったり、

韓国語を勉強する人が急速に増えた。そして、そこで「交流」レベルでなく、
実際に行き来したりつきあう韓国の人が増えた(これは事実)。
そうなると、日韓の政府レベルで何か問題がおきても
庶民のレベルでは「韓国にいる『あの人』」を連想することになる。

韓流ブームが始まる前は、韓国に行った人は多くても、

多くの人は旅行での接点でしかなかった。人の接触ではなかったのだ。
それが、「韓国語教室の○○さん」、「食の講座の○○先生」と
イメージが変わったのは大きいのだろう。仕事の関係でなく、個人的な関係としてである。
つまり、パイプが多くて、決定的なところまではいけないと言うことになる。

これに対して、中国の場合。

まだ、そこまでの関係を持っている人は多くはないのではないか。
仕事や留学以外の多くの人にとって、抽象的な中国でしかない。
先方から見ても抽象的な日本でしかない。
 
この違いが、今回の「対立」に対する人々の反応の違いに結びついているように思う。
先方の政府の「指導」が大きいこともあるが
それだけで、あの暴動までは説明がつかないように思うからである。

そういえば、韓国でも反日運動はあっても、暴動に繋がったことは記憶にない

(アメリカに対してはあったが)。
 
やはりある程度日本に知っている人がいて、
その人の存在がブレーキになったのかも知れない。
在日の存在が大きかったのかも知れない。
親戚が日本にいるわけだから…。(2012年9月28日、FB投稿記事)

Posted by hajimet at 23:33 | Comments (0)

Comments


Post a comment