…2012年、竹島、尖閣問題が起きたときに書いたものです。 ここのところの日韓、日中の軋轢。色々考えることがあるが、 決定的に大きな違いがあることにも気づいた。
韓流ブームの存在である。韓流ブームの結果、韓国に関心を持ったり、 韓国語を勉強する人が急速に増えた。そして、そこで「交流」レベルでなく、 実際に行き来したりつきあう韓国の人が増えた(これは事実)。 そうなると、日韓の政府レベルで何か問題がおきても、 庶民のレベルでは「韓国にいる『あの人』」を連想することになる。
韓流ブームが始まる前は、韓国に行った人は多くても、 多くの人は旅行での接点でしかなかった。人の接触ではなかったのだ。 それが、「韓国語教室の○○さん」、「食の講座の○○先生」と イメージが変わったのは大きいのだろう。仕事の関係でなく、個人的な関係としてである。 つまり、パイプが多くて、決定的なところまではいけないと言うことになる。
これに対して、中国の場合。 まだ、そこまでの関係を持っている人は多くはないのではないか。 仕事や留学以外の多くの人にとって、抽象的な中国でしかない。 先方から見ても抽象的な日本でしかない。 この違いが、今回の「対立」に対する人々の反応の違いに結びついているように思う。 先方の政府の「指導」が大きいこともあるが、 それだけで、あの暴動までは説明がつかないように思うからである。
そういえば、韓国でも反日運動はあっても、暴動に繋がったことは記憶にない (アメリカに対してはあったが)。 やはりある程度日本に知っている人がいて、 その人の存在がブレーキになったのかも知れない。 在日の存在が大きかったのかも知れない。 親戚が日本にいるわけだから…。(2012年9月28日、FB投稿記事)
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