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2005年10月10日
佐原

10月9日、千葉の佐原まで行った。品川から臨時特急「佐原秋祭号」に乗る。形式は183-3。房総特急用に昭和47年に作られたもので、かなり老朽化している。車内の形式板がなくなっていて、マジックで書いてあるところがもの悲しさを感じさせる。
 
佐原には調査したいことがあり、それをお祭りにぶつけて見に行った。
 
佐原は利根川の河口から40q。近隣の物の集散地として発展した。列車に乗っているときも、潮来の人が子供の時、一番大きな都会である佐原で買い物をしたということを話しているのが聞こえてきた。かなり早い時期に三菱銀行がここに支店をだしていたそうで、今でも明治時代のレンガ造りの建物が残されている。
 
現在は、水運は衰えていて町の勢いはかつてほどではない。戦災に遭っていないため、江戸時代からの蔵等が多く残っている。中心を流れている川沿いには、船下りが出来るようになり、そのまわりに伊能忠敬の家や蔵、昔の旅館などが整備されていた。戦前の文化住宅も綺麗に整備されていて、瀟洒な感じが出ていた。
 
そういう町中を山車が巡航する。それぞれの町ごとに山車をだすが、ほとんどが明治になる前後の物だ。山車の上には大きな人形を置く。素戔嗚尊、仁徳天皇、小野道風、浦島太郎、神武天皇などのテーマで創られ(之も明治期の物のようだ)、それが巡行する。山車の中に人が鈴なりに座り、囃子を吹いていくのだが、威勢がよいというよりは、のんびりしたテンポで演奏をしている。
 
その山車を引っ張るとともに、後ろから押すのだが、押す人は後ろを向いて背中で山車を押していた。さらにその後ろに踊りが続く。訪れた日は最終日で、山車が自由にコースを選んで回る日になっていた。そのためあちらこちらで山車どうしが鉢合わせをしたり、みていて飽きなかった。
 
帰りに酒蔵を覗く。そこで出しているミリンは雑誌などでも紹介されているのだが(そこのミリンで創る梅酒は絶品だとのこと)、その樽を見てきた。酒と違い、常に炭火で45度くらいに温めて醸造するということであった。
 
帰りも臨時特急で帰る。車両は行きと同じ。指定席3両、自由席3両であるが、指定席はぎっしりと込んでいた。反対に自由席はがらがら。おそらく旅行社のツアーのような形で席がおさえられていたのであろう。

Posted by hajimet at 11:17 | Comments (3)

Comments
佐原には、何を調査しに行かれたんですか?
伊能忠敬でしょうか。
  Posted by: Satto d'Arpenteur at 2005/11/23 13:26:17
戦争中に改修された川のことを調べに行きました。大須賀川という川です。その様子はhttp://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/sawara.htmに乗せてあります。
  Posted by: hajimet at 2005/11/23 13:31:29
川の歴史ですか。おもしろそうですね。
韓国へ行かれたり、トロンボーンを吹かれたり、川の歴史を調べられたり、幅広くご活躍のようで。。。興味深いです。

  Posted by: Satto d'Arpenteur at 2005/11/23 14:04:03


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