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4.観光化による伝統文化の破壊
もう一つの大きな問題は観光化である。今回のツアーは「未だ観光化されていない地帯」が謳い文句であり、それなりに満足は出来たがやはり懸念される前兆は見られた。

観光化の問題の一つは、参加したツアーのケースではないが、観光客による少数民族の伝統的な衣装などの買い漁りである。

即ち、少数民族の村の生活の中で使われている自給自足の少量生産の日用品を、観光客が大量消費社会の感覚で追い剥ぎ行為で買い取り、その文化を破壊している。
訪問した村によっては、現地ガイドが「この村では前の団体がいろいろな物を買い取ってしまい何もないので買い物はしないでくれ」と頼む場面もあった。彼らの文化は巨大文化ではない。吹けば飛ぶような小さな文化なのである。

自給自足で必要な分だけ作り、しかも一生に数回しか作る事が出来ないものまで剥ぎ取って買い物をする観光客集団もあるとか。3年かけて作られたものも日本のラーメン数杯の値段である。

このように書くと反論が出るかも知れない。「売り手が賛同しているから買ったのだ。無理に剥ぎ取ってはいない。値段も特に値切ってはいない。彼らはこれを売って豊かになるのだから構わないではないか」と。
違うと思う。彼らは自給自足社会の経験しか無いので、自分達が3年かけて作った織物が、伝統文化の保存にとってどんなに価値があるものか認識していないのである。そして観光客が欲しがると同情して断りきれず、またその場の現金誘惑に負けて手放してしまう。

例えば、お婆さんが身につけている刺繍製のエプロンを観光客が欲しがる場面を想定してみよう。
お婆さんはこのエプロンを昔3年かけて刺繍で作ったものであり、既に薄汚れている。お婆さんは死ぬまでこのエプロンを使用するつもりであったかも知れない。まして売ることなど想定もしていなかった。
もし、お婆さんがこのエプロンを手放してしまったら、再び刺繍製の同じようなエプロンを3年かけて制作することは年齢的に出来ないので、売ったお金でジーンズ製の新しいエプロンを買うだろう。しかしこの時点で刺繍製のエプロンを身に纏う民族の伝統は途切れてしまうのである。娘も孫もエプロンはジーンズで良いと考えるようになる。

買われたエプロンが博物館に行くか書籍に記録されるならまだ良いが、やがて行方不明になりこの世から消えてしまう。行方不明で消えてしまうと言う意味では遺跡の盗掘と同じである。伝統生活を守るための日常品と、生計を得るための土産商品の区別が出来ない観光客が我々より前の団体では居たらしい。
観光地化で少数民族の一部の人々の所得は向上するかもしれないが、それは彼らの独自文化の商品化を意味し、純粋な伝統は失われる。

もう一つ感じたことは飴配りである。
少数民族の村々で観光客やガイドが子供達に飴などを配っていた。外国人に慣れていない子供達とコミュニケーションを取るには必要な方法かも知れない。勿論この地方の子供達は飴をねだったり物売りは全く行っていない。

しかしである。観光客が飴を与え続けてそれが習慣となり、子供達が進んで飴をねだるようになった観光地を過去にたくさん見てきた。その時子供達は誇りを失い浅ましい物乞いになっている。飴をねだる子供が悪いのか、与える観光客が悪いのか? 

話は変わるが、中国の有名な少数民族の観光地では、漢族が少数民族を伝統的な家屋から新市街地に追い出し、漢族が少数民族の衣装を着て少数民族の家屋に住み観光客相手の商売をしているところがあると言う。これはテレビのドキュメンタリー専門チャンネルで視た。

観光化による伝統文化の破壊は、近代化による伝統文化の破壊よりもはるかに残酷なものだと思う。

この地方が急激に近代化・観光化するあまり、文明の悪い側面だけを取り入れて文明に毒されることのないように、また純真な原始の心を失ったりしないように祈りたい。日本が既に失ってしまっただけに、余計感傷的に期待する。

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                               平成17年10月29日 記