前のページへ
次のページへ
vietnam013002.gif
ベトナムの少数民族トップへ
3.近代化による伝統文化の破壊
所謂辺境と呼ばれる地域を旅行して気になることは、近代化と観光地化により伝統文化が破壊されることである。他では見られない、あるいは他地域では既に廃れてしまった独特の文化が残されているからこそ、それに憧れて旅行をするのである。

ここでは近代化による伝統文化の破壊と、観光化による伝統文化の破壊を分けて考えて見たい。

2泊したライチョウ周辺には数年後にダムが完成し、ライチョウの町は水没する。変わりに60km北のフォントーに移転用の新しい町が建設されつつあった。同時に国境のラオカイへの道路が整備されるなど、北部ベトナムはこれから急激な変化が予想される。ラオカイからバックハーへ至る峠越えの道路も大整備工事中であった。
フォントーの移住者用の敷地は自然の土地ではなくブルドーザーで整備された広い平らな敷地であり、そこに建設される住宅も木造・茅葺き建築でなくレンガ主体の建物になるようである。

少数民族の人々の生活の中でも、近代化の影響は急速に進みつつあるようだ。学校教育はベトナム語で行われるため、現在は家庭では民族独自の言葉、社会生活ではベトナム語であっても、やがては独自の言葉は消えベトナム語だけになってしまうだろう。少数民族の村にはテレビのある家庭もある。番組は1チャンネル程度しか放映されていないが、ベトナム語で放送されている感じだ。
子供達がベトナム語を使えないと成長してからの競争社会で不利になるので、ベトナム語教育は妥当と思う。しかし民族独自の言葉が無くなることは民族独自の文化が無くなる事も意味するので残念である。 

交通インフラと通信インフラが整備されれば、少数民族にとって生活は便利になるが、逆に懸念されることもある。立派な道路が出来て人・物・金の流れが多くなると、自給自足経済から流通経済に移行し、商品経済圏の枠組に取り込まれるであろう。そして少数民族の地域のかなりの部分が、低所得の貧しい一次産業地区に特化してしまう可能性がある。同時に少数民族としてのアイデンティティは薄くなるとも思われる。

近代化は大量生産、大量消費を前提として動くので、社会に発展をもたらす利点があるが、無限に開発するため地球環境の破壊も無限に続くことにもなる。
訪れた地域では未だ工業化による環境破壊は見られないが、何れ公害問題も発生するのではなかろうか。
この無限開発の流れに程よいブレーキをかける思想こそが、少数民族が基本としている「自然と共生する節度ある欲望」であったのだが、近代化によりこの思想が消えて、消費の欲望が増幅するであろう。

今回の旅行の印象では、少数民族の華やかな民族衣装や自然と共生する文化とは、つつましい自給自足社会そのものであると思った。大量生産で華やかな民族衣装を作ってもその価値はない。

近代化により少数民族の伝統的な生活様式が急速に変動すると、それに対応出来ず社会的に落後する人が続出したり、自文化に見切りをつける人も多くなる。女性も自民族の男に見切りをつけて優勢民族と結婚する。そのため文化の保存どころか種の存続さえ危うくなり、ついには消えてしまった少数民族も過去世界には多いのではなかろうか。これは内部からの文化の崩壊である。

以上のような雑感を旅行中思いあぐんだ結果、この地帯の少数民族は逆に現在が幸福な時期ではないかとの感じを持った。
誇りある民族衣装を日常的に着ることも出来るし、自然との付き合いも豊かであり、家族・親族との付き合いが濃い生活をしている。近代化の恩恵も一部受けている。
現在では伝統的な生活と近代化がバランスしているが、近い将来は上述したように近代化が優勢になることは確実である。

しかし今回の観光旅行で訪問した40軒ほどの少数民族の民家は、どちらかと言うと豊かな民家である。旅行中の通過地点で見た貧しい村や民家を見ると、伝統文化の保存よりも、近代化による貧困からの脱出が最優先事項と思われる場面もあった。複雑である。

また国としての近代化は絶対条件である。何所の国といえども近代化を急がなければ、アジアのまたは世界の競争に遅れを取り、その結果は他国に利用されるだけの極貧国になってしまう。近代化競争は兵器こそ使わないが、形を変えた国と国のサバイバルとも思う。  
 
(前のテーマへ)  (次のテーマへ)

                平成17年10月29日 記