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照葉樹林文化論(続き)
(前ページより続く)

但しこれらの共通点の多くは遙か昔の縄文時代においての共通点であり、その後長い時間をかけて日本とベトナム北部の少数民族の文化は別個に進化しているため、短期間の観光旅行で素人が共通点を探すことは無理だった。ただいくつかの共通点と雰囲気は似ていると勝手に納得した。

以上は縄文時代前期頃迄の「焼畑農耕文化」の時代の話であり、後に「稲作文化」が伝わる以前の話であるので、「稲作以前の日本の基層文化」と下記学者は名付けている。

同じ事は「稲作文化」に対しても言える。即ち、時代が下って、縄文時代末から弥生時代の初期になるとアッサム・雲南地方及び長江の中・下流域では、味が良く、無肥料で連作が可能、かつ収穫の安定性も高い「稲作文化」が形成された。この「稲作文化」の形成においても「モン族等」の祖先が活躍した筈である。
そして、畦(あぜ)で区画された灌・排水の水田技術と農具がセットになった「稲作文化」が日本に伝播し、すでに日本で形成されていた上記農耕基盤の中で、急速に「稲作文化」が広まった。

今回の旅行中、「稲作文化」に関しては、畦で囲まれた畑の形状や各種の農機具、牛を使用した耕作風景など日本とベトナム北部少数民族の共通点を数多く見る事が出来て、これまた私なりに勝手に納得した。

以上、長々と書いたが、これは佐々木高明著の「日本文化の基層を探る」を読んだ知識と、旅行中の感想を纏めたものである。この本は10年以上前に購入して読んだが内容は忘れていた。今回の旅行後に改めて読み直した次第である。専門家ではない中途半端な知識なので、勘違いも多いと思うが容赦願う。
 
この本には「照葉樹林文化論」に対して、中国北方の落葉広葉樹(ナラ・シナノキ・カバノキ・ニレ・カエデなど)で構成される地帯から、その文化が東日本に伝わったとする「ナラ林文化論」や、最近の種のDNA分析により科学的に裏付けられた学説などが紹介されており興味をそそられる。
文化の伝播は複雑に交差し単純ではないが、素人には単純にモデル化された方が分かりよい。
 
以上の堅苦しい記述だけでは面白みがないと感じる人も、次の事実を加えれば興味が増すと思う。
1997年に興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった宮崎駿監督の長編アニメーション映画「もののけ姫」は記憶に新しいと思う。この映画の着想の原点が「照葉樹林文化論」であった事が、「もののけ姫を読み解く」と言うサイトに詳しく記述されている。ご参考までに。

旅行前の期待では何となく、私の幼少時代の風景が眼前に展開するとも期待していた。しかしこれは的外れで、住居の程度は私の幼少時代ではなく村によっては極端に言えば奈良時代か平安時代と思われる住居もあった。これは単に貧困の面もあるだろうが、それでも食器やテレビなどがあったりして、生活のレベルは新旧が混同し部分的に著しくアンバランスである。

何れにしろ今回の旅行は、野次馬的好奇心と歴史・風俗などの知的好奇心の両方を満足させる旅行であった。
 
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                     平成17年10月29日 記