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ベトナム北部少数民族旅行記
2005年10月13日〜10月25日の期間、ベトナム北部の少数民族の村々を旅行しました。
写真集と併せてご覧下さい。
1.照葉樹林文化論‥‥‥「もののけ姫」着想の原点
今回の旅行ではベトナム北部の山岳地帯を11日間(約1800km)走り回った。興味深く感じた事は、道中の「ある標高」以上の地域の風景が日本と非常に似ており、まるで日本の山道を走っているような錯覚を起こす事である。車道の横の谷間に流れる小さな渓流とその周辺の苔類の感じ、道ばたの雑草、木々と雑灌木類、畑の感じも日本と似ている。市場の野菜も殆ど日本と同じである。同じ経験はブータンでもした。モンゴルの草原やウズベキスタン・新疆ウイグル自治区のオアシスなどの所謂異国の感じとは全く逆である。

具体的に地域を挙げると、シンホー近辺の高地、ラオカイからバックハーに至る峠道付近、それとドンバン・イェンミン周辺の高地などである。山道を車が登って行くと「ある標高」までは野生のバナナやヤシ等があちこちに繁茂しているが、「ある標高」を超えるとそれがバタッと消え、同時にシダやススキ類もぐっと小さくなり日本と同じ感じになる。この「ある標高」をドンバンからの下り道で添乗員の簡易高度計で確かめたら約600mであった。

ここで、日本へ伝わった文化の起源を論じる「照葉樹林文化論」が登場する。

アッサム・雲南高地から東南アジア北部に至る地域は、常緑のカシ類のほか、シイ・タブ・クス・ツバキなどの表面に光沢のある常緑の植種、つまり照葉樹で構成されている「照葉樹林地帯」である。
同じく日本(特に西日本)も「照葉樹林地帯」である。そして、この両者は気候・地形が似ているのみならず、農耕形式・家屋の形式・民族的文化の諸特色の多くが縄文・弥生時代に遡って共通性と類似性を持つことが指摘されている。

今回訪問したベトナム北部の多くの少数民族は「照葉樹林地帯」の雲南省近辺から南下してきた民族であり、その地域の古い文化を継承して来たものと思われる。特に移動前と移動後の気候・地形・植生が同じ地域では、その古い文化を継承し易い筈である。

「照葉樹林文化論」では共通の文化要素として、ワラビ・クズなどを水に晒してアク抜きする方法、茶の葉を穴の中で発酵させ加工して飲用する慣行、蚕の繭から絹を作る技術、ウルシから漆器を作る技法、柑橘とシソの栽培と利用、麹を用いて発酵させて酒を醸造する方法、ミソ・納豆などの発酵食品、コンニャクの製法、イモ類・アワ・ソバなど大量の雑穀類を栽培する焼畑農耕‥‥‥など数え上げれば際限がないほどあると言う。また、柱や梁で重量を支える家屋構造も照葉樹林地帯に広く分布している。

さらに、照葉樹林文化の特徴はこれらの食事文化・物質文化の共通性に止まらず、神話や儀礼の面や各種の伝統的行事や習俗においても共通の特色があると言われている。例えば別項で述べた「歌垣」の習俗もそうだし、羽衣伝説・花咲爺・サルカニ合戦など多くの昔話が中国西南部の少数民族の間で今も語られていると言う。アミニズム信仰も共通要素である。

これらの文化要素を持つ「焼畑農耕文化」が、遙か昔の縄文時代前期に雲南地方を起源として、東は「日本」へ、南は「ベトナム北部」へ伝わったと考えれば、日本とベトナム北部の少数民族の文化の共通性が納得出来る。「モン族等」の祖先も「焼畑農耕文化」で活躍していたのではないか。
日本でも昭和35年頃までは西日本各地の山村で焼畑農耕が行われていた。  (次ページへ続く)