プリー
写真−74
プリー
2006.11.13
中央アジアとインドの違い‥‥
歴史が激しく動いた地域では一般的に多様な民族、文化様式、生活様式が狭い地域に併存している。
3年前に旅行した中央アジア(ウズベキスタンなど)は、シルクロードの長い歴史において民族の抗争と移動が激しく起こった地域である。この地域では興隆する文明が先行の文明にとって代わり、征服民族が先住民族を滅ぼすか吸収した。民族が入れ替わる毎に宗教も明確に入れ替わった。この民族の入れ替わりの激しさに理解がついて行けず、そのダイナミックな歴史に感動したことを思い出す。
ところがインドでは、新しい移住者の到来やその生活様式の普及が必ずしも遅れた地域社会の消滅をもたらさなかった。インドでは古いものと新しいものが併存している。感覚的に表現するならば、中央アジアの民族のモザイクは単位がかなり大きく、較べてインドのモザイクは細かいと言えようか。
広大な中央アジアでは砂漠地帯が多く生存可能な居住区は僅かなオアシス地帯に限られる。従って侵略民族はこのオアシスの先住民族を皆殺しにするか奴隷にして徹底的に支配し優位性を保った。それに較べればインドは居住可能な面積が広かったのでなかろうか。しかしこれだけが理由とは考えられない。もっと重要な事はインド人の思考形態として、「文化形態の多様性は自然なものであり、ひとつの文化様式への同化は望ましくない」と考えたことであったかも知れない。この思考形態の要因として、@ヒンドゥー教の多様性の容認、Aカースト制により異なる集団間での交際と通婚の阻止、の2点があったかも知れない。