随想:幼少期へのタイムスリップ
3.玉川上水を訪ねて(3)
さて私の2〜4歳の幼少期はこの辺りのどこかに住んで居た筈である。記憶は殆どなく仮にあったとしても現在の地形は全く変わってしまっており符合させようも無い。
幼少期にあった広大な武蔵野の雑木林はとっくに消えてしまっている。従って住んでいた場所とこの地点はかなり座標がずれて居るかも知れない。
それでも幼少期の座標と今居る座標が近いとの感じを持つと記憶が戻って来る。
はっと思い出した。そうだ両親が日常会話のなかで「タマガワ」と言っていたことが何回かあった。60年前の会話の「タマガワ」がこの玉川上水のことかどうかは分からない。
さらに記憶が戻って来た。自宅からさほど遠くない所に雑木林を切り開いて新しく川を作る工事をしていた。今で言えば人海戦術のような工事であったろう。「タマガワの流れを変える」とかそんな会話を両親がしていた気がする。
雑木林には何度も遊びに行った記憶が戻って来た。2〜4歳の頃だからそんなに遠くには行ける筈がない。今までよりもほんの少しだけ一人で遠くに行き、それが得意で家に帰った記憶がある。だけどその得意の理由は母には理解して貰えなかった。
姉と一緒に雑木林に遊びに行き、見たことが無い花を見つけ毒の花を見つけたと大げさに報告したこともあった。
そうだ、近くに防空壕があった。防空壕といっても一寸した斜面に穴を掘ったチャチなものである。それが2個並んでいたような気がする。
母が作った防空頭巾を被った。実際に爆撃があった訳ではないが、国中が翼賛体制下でどこの家庭でも防空頭巾を作ったのであろう。それを私に被せる時母は「これを被るとバクダンに当たらない」と言った。
だけど私はそのときバクダンが何かを理解しておらず、ましてや当時の厳しい社会情勢など認識の圏外であった。しかし「これを被ればバクダンに当たらない」との母の言葉はそのまま信用したのを覚えている。
空襲は未だ激しいころではなかった。日本軍の演習の飛行機が、それほど遠くでないところに墜落したことがあった。近所の人が墜落した所まで行き風防か何かの破片を拾ってきて、「これを擦ると不思議な匂いがする」と話していた。記憶ではその人は未だ子供であったようだ。
(続く)