マシラウ山系(マシラウ・ネイチャー・リゾートより)
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写真−73
2008.4.18
am8:51
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からゆきさん‥‥
キナバル山の東175kmにサンダカンと言う都市がある。今回の旅行は登山のみが目的であったので訪れなかったが、サンダカンは旧日本軍との関連含め、日本と深い歴史的関係があった。その一つが「からゆきさん」 である。

「からゆきさん」とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことで、島原半島・天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(ブローカー)が介在していた。

「からゆきさん」として海外に渡航した日本人女性の多くは、農村・漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。斡旋業者は貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。そして、斡旋業者は彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。

こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」 として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は 「国家の恥」 であるとして非難されるようになった。1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。

太平洋戦争後、「からゆきさん」の存在は 「戦前日本の恥部」 として一般に知られることは少なかったが、山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後 「からゆきさん」についてのルポルタージュや研究書が現れた。

また、逆に、20世紀後半、日本に渡航し、ダンサー・歌手・ホステス・ストリッパーなどとして働いた外国人女性を 「じゃぱゆきさん」 といい、その違法性のある就業実態や劣悪な生活環境が話題となっている。(Wikipediaより意訳抜粋) (続く)