熱帯雨林(マシラウ・ネイチャー・リゾート)その4
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写真−72
2008.4.18
am7:18
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気宇壮大だった日本人?‥‥
ボルネオと日本との関係は、遠く鎌倉・室町時代にも遡るので、今回の旅行を機に少しばかり調べてみた。

地球全体にヨーロッパ人が進出を始めた大航海時代は、15世紀最後の10年間に始まったとされ、喜望峰経由のインド航路発見、コロンブスの大西洋横断はこの時期になされた。

ところが、それよりも100年以上も前に、すでに大勢の日本人が海外に進出していた。いわゆる「倭寇」 の時代とも重複するが、「倭寇」 の解釈に関してはアジア各国の歴史観により180度もの相違があるので、軽々しくこの言葉は使えない。村上水軍が活躍した時代とも一部重複する。

15世紀前半には日本は琉球王国、シャム、マラッカ、スマトラ島、ジャワ島、ブルネイとの交易があったと言われる。16世紀後半、豊臣秀吉の朱印船貿易の時代にはルソン島、マラッカ、シャムなどに日本人街もあったようである。この時代、海外へ出かけた日本人は10万人に及ぶと推定されている。

このような話を聞くと、昔の日本人は気宇壮大であったとの感慨を持つが、近代の歴史を見ると、日本と東南アジアの関係では暗い負の部分もあった。その例として、「からゆきさん」と 「旧日本軍による北ボルネオ死の行進」 を挙げてみようと思う。 (続く)