サウスレア(3)
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写真−27
2008.8.01
11:27
サウスレア/Saussrea obvallata return.gif next.gif
Saussrea obvallata.(4000-5000m),Jul.-Sep.
シーク教(2)‥‥
シーク教はイスラムのムガール帝国から迫害を受けてきたが、ムガール帝国の迫害が激しくなった第10代教主(ゴーヴィンド・シング)の時代(17世紀)に、ついに武力を用いることを正式に護教の手段として明確に位置づけ、強固な連帯意識で結ばれたシーク教団が形成された。そして、教徒は自分の名前の後にシング(獅子)の称を付するようになる。

伝統の禁煙、長髪、短剣・腕輪などの携帯も彼によって規定された。頭髪も髭も決して剃ってはならず、そのため頭髪は丸く束ね、ターバンが巻きつけられる。

ゴーヴィンド・シングはムガール帝国と苦しい戦いを展開し、子供をすべて失ってしまった。父親もムガール帝国に惨殺された。またゴーヴィンド・シング自身もパターン族に刺され、それがもとで死亡する。
このような凄まじい悲劇の中の宗教ゆえ逆に強くなったのであろうか。

こうして彼の指導の下で、シーク教は従来の商人・職人層に基礎を置く狭い宗教運動から、パンジャブ農民の間に根を張る一つの新しい社会運動へと発展した。

シーク教はその後パンジャブ地方に一大王国を築いたが、19世紀中頃にイギリスによって滅ぼされた(シーク戦争)。

また、インド独立後にはシーク教徒だけの州を要求しパンジャブ州の一部を分割することに成功した。(続く)