ルーツを訪ねる旅
2007年08月29日
それにしても、日本の歴史がここまで詳細に記録として残されていることに改めて驚嘆した。戦国時代の乱世とは言えそれ以前の平安時代、奈良時代、飛鳥時代からの日本の文化の集積とそのレベルの高さ、民度の高さを実感した。戦国武士といえども書をたしなみ詩歌や絵画を愛する教養人である。単に野蛮な人殺し集団ではない。
当時の建造物も決して粗雑なものではない。古代の法隆寺や薬師寺の宮大工は現在の宮大工以上の建築技術を持っていたと言う。鎌倉・室町時代もしかりである。
山梨県甲州市の恵林寺の宝物館には武田信玄に関する遺品が陳列されているが、その教養の深さと為政方針の崇高なことには感嘆して余りあるものがあった。哲学的とも思える深い思索が伺われる。単に戦争により領土と富を増やすだけが目的ではなかった。
口先だけで「美しい日本」などという政治家よりもはるかに思索と実行力に優れるとも思った。それにしても戦国時代になぜこのように素晴らしい戦国武将が、日本全国に「雨後の竹の子」のように同時多発的に生まれたのだろうか。
日本の室町・戦国時代はシルクロードの中央アジアではチムール帝国の時代である。チムール帝国は当時の日本よりはるかに大きく強大な帝国であったが、チムールの祖先は縁戚関係含めて日本のようには明確ではない。日本の戦国武将が20代以上前から家系図が記録されているのとは大違いである。
中央アジアでは、領土拡大と富を求めて戦乱の度に民族が入れ替わり、言葉や宗教や文化も明確に入れ替わった。新しく侵入した民族はそれまで住んでいた民族を皆殺しにするか完全に隷属させた。従って古い記録は戦乱の都度砂漠の砂の中に埋もれてしまった。
較べて日本の戦乱は同一民族内の戦乱であり、戦乱により種族・言葉・宗教や文化の変化はなく、記録も保存されたのではなかろうか。
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