ルーツを訪ねる旅
2007年08月29日
§6. 江草地区に関する執拗な調査方法など
「江草城−獅子吼城」に関する資料は主としてインターネットで調べた。図書館でも戦国時代に関係する重厚な各種辞典類を10冊以上調べてみたが、江草城や江草兵庫助信泰は記載されていない。しかしインターネットなら簡単に資料が見つかる。便利な世の中になったものである。
特にインターネットのフリー百科事典「Wikipedia」は役に立った。例えば「Wikipedia」で「武田信玄」を検索すると彼に関する詳細な記述が現れる。生涯の履歴はもとより、縁戚、戦いにおける敵・味方の名前や戦場の位置・日付などが次々と判明する。家系図も記載されている。ここからネットサーフィンして関連する項目や人名を調べても良いし、新たに調べたい人名や項目を検索しても良い。
ただし、このように調べて分かることは、膨大多岐にわたる単なる情報の羅列であり、必要とするテーマに沿った理解は得られない。
ここからが腕の見せ所である。膨大多岐にわたる情報をテーマに必要な情報のみに絞り込み、テーマに関係ない情報はカットする。そして時代背景などの知識を勘案しながら、読んで分かるように情報を組み立て直す作業が必要である。そうしないと支離滅裂な文章になってしまう。
家系図にしても、「Wikipedia」から得られる家系図をそのままコピーしたのではテーマと関係ないので理解できない。複数の家系図を組み合わせ、必要な部分のみを整理し、テーマにそった情報を追加する必要がある。さらに分かりやすいディスプレイとするために表現の工夫が必要となる。試行錯誤した。
遺跡の現地に掲げられている案内板も重要な情報源となった。ここでは「Wikipedia」にも書かれてないような寺や城の説明が詳細に記述されたものもあった。ただし案内板の記載事項は概して史実を羅列しただけで、時代背景などの関連事項が理解できない。その寺や城の歴史的価値が実態より大げさに書かれているものもあるようだ。
真夏の炎天下でじっくり読む体力も無かったので、写真に撮り帰宅後に判読した。
次ページへ続く