江草村の
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ルーツを訪ねる旅
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2007年08月29日
§5. 記録に残っている江草村のことなど
 「江草地区」の近年の変遷は、1956年(昭和31年)に(旧)江草村が須玉町に編入され、さらに2004年(平成16年)には須玉町・他6町村が合併し北杜市が発足した。現在の地名は「山梨県北杜市須玉町江草」となっている。なお、日本全国で「江草」の地名はここだけである。

 「江草村」を調べると、かなりの僻地であったことが察せられた。事例をいくつか挙げてみよう。

 (1) 「甲州の方言私抄」 (須玉町江草近傍の俚言)と言う書籍が出版されている。昭和初期に山梨県の「旧江草村」で知り得た方言を、当時の記憶を頼りに採録した語彙集とのこと。方言が強く残る地域は僻地ではなかろうか。

 (2) 八ヶ岳山麓の清里は高原の観光地として有名であるが、清里開墾が開始された昭和13年以来、苦難連続の開拓史があった。

 東京市の貯水池建設計画によって故郷を失った住民28戸62人が、標高1200メートルの八ヶ岳念場ヶ原開拓地に入植した。厳しい環境の中で体力のない老人や幼い子が何人も死んでいった。あまりにもつかみどころのない大自然と闘うとき、人は何かに手を合わせて祈りたくなるのだろうか。ようやく家を得た彼らが次に求めたのは、心のよりどころとしての氏神さまだった。県庁の社寺兵事課で調べてもらうと、「江草村の御崎大神社」が廃社になっているという。石の祠とともにその御霊を牛車に乗せて、ギッチラギッチラと開拓地中央部の小高い丘に移したとの記録がある。

 当時、神社が廃社になるほど江草村は僻地だったのだろうか。なお、現在清里は須玉町江草と同じく、北杜市の一部となっている。

 (3) 昭和31年の、参議院文教委員会の会議録で、「江草村岩下小学校長」が全国僻地教育研究連盟副委員長の立場で発言している。議題は「僻地教育に関する件」となっている。

 (4) (旧)江草小学校は昭和60年の3月まで使われていたが廃校になった。山あいにある木造校舎で、懐かしい雰囲気と田舎の情緒いっぱいの学校である。フジテレビ系の連続ドラマ「みんな昔は子供だった」のロケ地となり国仲涼子、陣内孝則他が好演し感動を呼んだ。

 加えれば、「江草村」には次ぎのような伝承記録が残っている。

 文政年間(1818〜1829)に「江草村岩下」の萬屋と言う造り酒屋が、岩下(小森川下流の集落)から大峠まで一丁置きに石の観世音を建立して祖先の菩提を弔い、これを道標に兼ね、御嶽(金峰山)の里宮金桜神社の参詣衆の便宜を図った。それ以来、大峠は観音峠と言われるようになつたとのこと。

 §6.に続く
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