行く先々の街道にて大歓迎される
写真−92〜94
2010_2_23
バス出発前の見送り →
小学校前にて、生徒と先生に歓迎される
2010_2_23
外国人が珍しく、市場で我々の周囲に集まった人々 →
2010_2_24
日本への憧れ‥‥
我々は行く先々で現地の人に好意を持って歓迎される。というより、珍しい外国人として、こちらが観光対象にされてしまう。市場では我々が何も買わないことが分っていても、「ハロー」 「ハロー」の連続である。
橋梁をはじめ、日本の経済・技術協力は、バングラデシュの人々によく知られており、日本人に対してはとても友好的である。かつて日本人がアメリカ、フランスなどに抱いていたと同様に、彼らにとって日本は世界の一流ブランドの国であり、憧憬の対象なのかもしれない。メイド・イン・ジャパンはすべて一流商品として扱われ、町中を走る車のほとんどがトヨタ車で、日本の中古車が道路を満たしている。
彼らは、自分たちの国が貧しいことをよく知っている。市場や街中の至るところで、「日本は豊かだが、バングラデシュ貧しい」との羨望の声が聞かれた。
遺跡観光中のことであるが、風体のしっかりしたインテリ学者タイプの青年が、威儀を正して私に近づき、「サンキュウ」と言って握手を求めてきた。日本へのお礼だったのであろうか。
さらに、我々のバスが出発すると、バスを激しく連打する人がいる。初めは何かの抗議かとびっくりしたが、親しみと、送迎の合図だそうだ。
ついでに書けば、車を叩くことは交通整理でも行われていた。車は傷だらけのおんぼろ車が多く、ダッカで見たことであるが、交通整理の警官が、長いバールでバスの車体を激しく叩いて、バスの方向を指示していた。日本では考えられない交通整理法である。