伊万里といえば、伊万里焼として世界的に名を馳せていますが、
この地に陶器商人の武富家がいました。
陶商の武富家は、「 堀七 」として世に知られるようになった“七太郎”の代、
すなわち、文政年間(1820年代)に隆盛したとされています。
この「堀七」の名は、店が本町と今町の間を流れる“堀端”にあったことから
付けられたと思われますが、その後も、多難な幕末から明治初期くらいまでは、
通用したようです。
さて、この堀七の武富家には、
大福帳(取引帳簿)や諸国の商人からの書状などが数多く遺されていました。
まずはじめに、天保11年(1840年)の大福帳を見てみると、
これには、近郊農民や伊万里・有田の町民・窯焼きに対する貸し付け、
諸国商人への貸し付け、そして、武富家の借用金が記載されていました。
この中で特筆すべきは、同じ陶器商人が武富家から融通を受けている事です。
通称“まる駒”の犬塚伊左衛門は、「 陶器仕入所 」と称した豪商でしたが、
彼さえも武富家から融通を受けていたのでした。
伊万里町人への貸し付け詳細
関政(781両) 犬塚伊左衛門(500両)
馬場伝右衛門(80両) 美濃屋横尾金兵衛(90両)
関屋喜左衛門(40両) 吉田兵助(70両)
森永作右衛門(45両)
次に、弘化4年(1846年)の大福帳を見てみると
下記のような取引先の商人(諸国)が記載されていました。
伊予(現在の愛媛県) … 河内屋徳兵衛 菊屋栄三郎
筑前(現在の福岡県) … 綿屋幸右衛門 田中屋勘三郎 田中屋忠兵衛
万屋次左衛門 関屋茂七 前田屋孫吉
萬屋次七 岡田屋貞七 佐野屋伝四郎
釜津屋嘉平 関屋庄助 魚屋十平
紀州(現在の和歌山県) … 吉野家伊兵衛
下関(現在の山口県) … 虎屋安右衛門
越後(現在の新潟県) … 勘三 重蔵 長右衛門
土州(現在の高知県) … 田村屋幾三郎 笹屋彦平
雲州(現在の島根県) … 福右衛門 平左衛門
そして最後に、
この武富家の経営状況をあらわす「棚場」・「水揚」の史料を見てみますと、
一年間に2,000両ほどの取引(貸し金・焼き物代)を行っていたことが
わかりました。(慶応4年)
現在にあてはめると、およそ2億円といったところでしょうか。
豪商“犬塚家”には及びませんが、陶器商人として名を上げた武富家です。