楊花鎮(宣教師の墓2)

バンカー(房巨) A-22 ムーア A-24 韓国最初の聖書(平壌方言)
 
バンカー:1885年米国生まれ。1886年に韓国で育英公院を作るときに招聘されて来韓した。ここで高官子弟に英語教育をしていたが、学校が廃校になった後、培材学堂で活動。監理教会の宣教師となる。1911年バンカーの編修した「新約全書」が出版された。

ムーア(1860-1906):米国生まれ。白丁に伝道し、解放運動に力を注いだ。腸チフスにかかった白丁の治療をしたことがきっかけとなって、布教を開始した。本人も腸チフスにかかり死亡。

ジレット:韓国YMCAで活動を行う。日本にも何回か韓国人留学生のために来ている。ブロクマンとともに韓国で初めて野球を紹介した人としても知られる。 ここにあるのは子供の墓。

ブロクマン(1878-1929):米国生まれ。YMCAを中心に活動。全国規模の下令会(修練会)を開き、多くの学校に「YMCA学生会」を組織。 1927年、米国に帰国後死亡。ジレットとともに韓国に野球を紹介したことでも知られる。

バーナート 詳細は不明。YMCAで韓国にバスケットボールを紹介した。

敷地の中に楊花鎮ホールがある。開化期から植民地時代にかけての宣教の歴史や、宣教師の活動が紹介されている。入ってすぐ、韓国最初の聖書が展示されてい る。なんと、平壌方言である。韓国のキリスト教の歴史は北から始まった。中国から宣教師が越境してきて布教したため、まず北で広まったのである。そのため に平壌方言であった。しかし、これでは南では通じないので、南の言葉で聖書を出す事、布教をすることが課題になっていたということだそうだ。

ジレットの子供 B-18 ブロクマン B-16 バーナート B-16

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