御学問所
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溥儀が非公式に満州国の管理や外国からの使節と接見する場所である。1942年にはここで中華民国主席、汪兆銘と会っている。
汪兆銘は1911年、溥儀の父親(光緒帝の弟)を暗殺しようとして未遂に終わったことがあった。その後国民党政府に参加したが、蒋介石が抗日戦線をとる
と、それに反発して対日和平を唱えた。重慶にあった国民党政府を飛び出て、南京に国民党政府を作った(1938)。日本政府は重慶政府でなく、南京政府を
承認した。
1942年の会談は日本政府の後押しで行われ、両者ともに日本の「大東亜共栄圏」に協力することを表明した。