同徳殿便見室
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溥儀が非公式に接見する部屋である。叩拝間で公式に接見したあと座を移したり、月3回(1日、11日、21日)に関東軍の司令官(月3回、1日、11日、
21日)、満州国総理(毎週1回)に会ったり、日本の神官に会う場所であった。
この部屋には溥儀と会見する関東軍司令官山田乙三の様子が再現されている。1945年8月9日、山田は通訳官を交えて太平洋戦争の危機的状況を溥儀に伝
え、通化(長春南方、中朝国境に近い都市)への遷都を勧めに来た。実際、8月8日にソ連が満州国に進行していて、溥儀らは新京を放棄して通化省大栗子に
移った。通化にはこのとき関東軍司令部になったとされる建物が残っている(現在人民解放軍施設)。
溥儀は8月18日、日本の敗戦を受けて満州帝国解体と満州帝国皇帝からの退位を宣言して、満州国は瓦解した。