同徳殿日本間ほか
日本間

同徳殿の中には伝統的な中国様式の部屋、溥儀が北京紫禁城時代に琴の演奏と作曲を習ったことにちなむ鋼琴間、溥儀が卓球を楽しむ部屋など作られた。

また、日本人の設計によることから日本間が作られた。ここが清国の紫禁城でないことを伝える意味もあったという。さらに廊下はガラス張りとして、庭園が見 られるようにした(暖廊)。この廊下の突き当たりには獣頭滴水池を作り、獣頭から水が吐き出されるようになっていた。吐き出された所には池があるが、李玉 琴はここに金魚を放し、飼っていた。池の水は外の庭園の池に流れ込むようにしていた。

電影庁 獣頭滴水池 台球間
 
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