小船越
阿麻氐留神社より日本海側を見る 小船越(奥が西漕出浦) 西漕出浦

日本海側にある阿麻氐留神社のすぐ脇、西に向かう小路を進むと100mほど、僅かな下り勾配で浅海湾側の西漕出浦にでる。現在でも非常に狭い地峡部であるが、かつては阿麻氐留神社のすぐ下まで海水が来ていたとされるので、現在よりも狭い場所だったと考えられる。ここを古代、コロを敷いて船を乗せて曳いて反対側に抜けたとされる。遣新羅使や遣唐使もここを通ったと言われるが、大きな船は越えられないので、徒歩連絡して、反対側にある大型船に乗り込んだと伝えられる。

中世、浅海湾は倭寇の本拠地となったが、それを攻撃した1422年の応永の外寇の時に、朝鮮軍はまっ先にここを抑えた。戦後、朝鮮との通交は宗氏の発行する文引が必要となったが、それを発行する寺が当初、船越の梅林寺に置かれた。

西漕出浦から浅海湾方向 小船越方面を見る 軍事要塞を示す標柱

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