大船越(おおふなこし)

対馬には船越のつく地名が2カ所ある。小船越と大船越だ。いずれも島が細くなっている部分で、船を引き上げて反対側に運んだ。小船越が小型の船しか越せなかったのに対して、こちらの方が大きな船も越せたため名付けられたようだ。大船越は寛文12年(1671)に開削されて船が通行出来るようになった。堀の長さ110m幅18mで掘られたが、現在は長さ240m、幅50m近くある。この工事で出た土砂で海側が埋め立てられ、集落が作られた。また、この運河を通じて朝鮮への船も通ることから番所も作られた。

文久元年(1861)、ロシア艦のボートがここを制止を聞かずに通過して対馬の一部を占領する事件が起きた。そのときに制止をしようとして死亡した2人を讃えた記念碑が番所跡に立てられている。

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